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主の光の中を歩もう

マタイ福音書1章1~17

この箇所は、よく「系図」と言われます。
しかし、「系図」と翻訳されている言葉は、原文のギリシア語ではゲネシスで、「系図」という意味はありません。



「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。」(1:1)
ギリシア語の原文を語順どおり日本語に直すと、「書物/生成の/イエス・キリストの/ダビデの子/アブラハムの子」です。

「生成(ゲネシス)の書物」が、「系図」と訳されています。
ゲネシスは、
「主なる神が天と地を造られたとき」(創世記2:4b)の「造られる」という言葉です。

しかも、「これはアダムの系図の書である。」(創世記5:1)
マタイ1章1節は、まったく同じ言いまわしです。

「アダム」には、原形としての人間という意味があるので、
「これは人間のゲネシスの書である。」ということなのです。

マタイ福音書1章1節は、創世記を意識しています。
最初にアダムが造られたように、今、イエス・キリストによって人間の新しい歴史が始まる。
そう宣言して、マタイ福音書は始まっているのです。

「キリスト」は、ヘブライ語の「メシア」(油注がれた者)をギリシア語に翻訳した「クリストス」から来ています。
「メシア」(油注がれた者)は、王の即位に用いられた言葉です。
王は、神から平和を作り出す使命を与えられています。
さらに、終わりの日には、神が送ってくださる王なるメシアによって、「神の国が到来」します。
これは、究極的な意味において神の御心が成就するという意味です。



「イエス・キリスト」(1:1)は、「イエスはキリストである」という信仰告白の言葉です。
「アブラハムの子ダビデの子」(1:1)は、血縁関係を語っている訳ではありません。

「アブラハムに与えられた使命、ダビデに与えられた使命を、真の意味で成就する、油注がれた人メシアが、今、与えられた。ナザレのイエスによって、まことの人間の姿が示され、まったく新しい歴史が始まる。そのメシアであるイエスの一部始終をこれから語る。」

1章1節はこう宣言し、マタイ福音書全体の標題となっているのです。
(2017年12月10日)


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