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主は来られる

マタイ福音書1章1~17

4人の女性たちは、なぜここに名前が挙げられているのでしょうか。



夫を亡くしたタマル(1:3)は、その弟と再婚しますが、再び夫を亡くし、不吉な女として実家に帰されます。
捨て置かれたタマルは、遊女に身をやつし、亡き夫の父ユダをあざむいて子種を得ます。
身ごもった嫁を焼き殺せと怒るユダの前に、タマルは相手から預かった証拠の品を差し出します。
このタマルの子どもから、ダビデの家系が生まれるのです。

ラハブ(1:5)はエリコの遊女で、イスラエルの斥候をかくまいました。
ヨシュアに率いられたイスラエルの民がカナンの地に入るのを、助けたのです。
ラハブの行為は、エリコの人にとっては裏切りです。しかも遊女です。
このラハブから、ダビデの家系が続いていくのです。

ルツ(1:5)は、姑に尽くした健気な女性とされてきました。
モアブの女ルツは、亡き夫の母ナオミを気遣い、その故郷ベツレヘムにまで付き従います。
ナオミの親戚のボアズの妻となるのですが、そのいきさつは感心したものではありません。
収穫のあと、お酒を飲んでいい気分で寝ているボアズの床に潜り込み、既成事実を作ったのです。
このやり方には、ちょっと首をかしげたくなります。


ウリヤの妻(1:6)バト・シェバは、どんな女性でしょうか。
ウリヤはヘト人で、武勇に優れた指揮官です。
ウリヤが出陣している留守に、ダビデはその妻を王宮に召し出し、自分のものにしてしまいます。
しかも、ことの露見を恐れたダビデは、ウリヤを激戦地に送って戦死に至らせます。


いずれも、模範的とは言いがたい女性たちです。
特に、子供の誕生のいきさつに問題をかかえています。
外国の人の血が混じっています。
そこには人間の恥と悲惨、恐ろしい流血と残虐があります。
これは、女性の罪というよりも男たちの罪です。



しかし、人間の背きや罪にもかかわらず、神は救いの業を成就なさる。
祝福の約束は、わたしたちにも引き継がれている。
自分の恥ずべき過去、罪の姿に脅えることはない。
古いものを一掃し、新しいものを生み出すメシアが来られた。
ナザレのイエスこそ、約束のメシア、キリストである。こう宣言しているのです。
(2017年12月17日)

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