マタイ福音書1章18~24
「その名はインマヌエル・・・」、「神は我々と共におられる」。(1:23)
この言葉は、マタイ福音書の結び、
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28:20)
と響き合い、マタイ福音書全体を囲む枠組みとなっています。
「インマヌエル」が印象的に語られるのは、ヤコブの物語です。
ヤコブは、兄エサウをあざむいて長子の権を奪い、神の祝福をかすめ取りました。
怒り狂う兄から逃れる旅の一夜、夢の中に神が現れます。
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15)
このときヤコブは、悔い改めていたわけではありません。
絶望に打ちのめされる中で、「わたしはあなたと共にいる」という神の約束を聞き、喜びに震えたのです。
「自分の民を罪から救う」(1:21)
「罪」は、神に背く在り方、人との関係を壊す行為を指します。
ここでは、「民全体の神への背き」を考えるべきでしょう。
自分が一番だと言って弱い者を踏みつけにし、自分はルール通りやっているだけだと言い続ける。
相手を非難して、武力をちらつかせる。
そんな指導者を、わたしたちはそのままにしています。
「主は、・・・全ての罪から贖ってくださる。」(詩編130:8)
「主は・・・真実をもって諸国の民を裁かれる。」(詩編96:13)
ここで「裁く」とは、すべての民を公平に扱い、歪みを正して公正な統治をおこなうことです。
わたしたちは、今の幸せを失いたくないという思いにしがみついています。
世の流れに逆らうと、ひどい目にあうかもしれない。
だから、知らん顔をして見逃す。
そうした恐れから解放され、共に歩む喜びを味合わせてくださる。
これが「救い」です。
歪んだ世の中で声もあげられず、苦しさに耐えて生きているわたしたちに、神が正しい裁きをなさる、公正な世界を取り戻される。
立ち上がってその働きに参加しなさい。
あなたもまず隣人に、愛をもって仕えなさい。
あなたが立ち上がる力を、わたしが与えよう。
「孤児・寡婦・寄留の民」とともに歩む歩みへと踏み出しなさい。
わたしが共にいるから。
この主の招きに、応えていきましょう。
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