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主の名によって来られる方

ヨハネ福音書12章9~19


戦後70年を迎えようとしていますが、私たちは教会が戦時下、どんな過ちを犯したかを学ぶ必要があります。

教会は圧迫され苦しめられましたが、権力にすり寄っていった一面もあるのです。



朝鮮大神宮が作られ、朝鮮韓国の人が参拝を強要されました。

これは十戒の第一戒、「わたしをおいてほかに神があってはならない。」(出エジプト記20:2)に背くとして、多くのキリスト者が拒否しました。

このとき、後に日本基督教団の統理となる富田満牧師が出かけていって説得しました。

「神社参拝は宗教ではない。先祖を大事にする気持ちを表すものだから、牧師と信徒は参拝するように。」と指導したのです。

しかし、抵抗して参拝しなかったために、投獄され、拷問されて、大怪我をしたり、命を落とす人が多数出ました。日本の教会は、そういう過ちを犯したのです。


また、ホーリネスの人たちを切り捨てたということがあります。

ホーリネスでは、「キリストの再臨」を大切に考えます。

再び主が来られる、そのときすべての人が裁かれると、文字どおり信じたのです。

そのために、天皇も裁かれると言うのかと、警察で尋問され、拷問を受けました。

134人が検挙され、4人が獄死、拷問がもとで3人が死亡しました。

その時、日本基督教団の富田統理は、「再臨の信仰」は愚かな聖書理解であり、間違った信仰のせいで他に迷惑が及ぶと言って非難しました。

そして、教会の認可を取り消し、牧師を辞任するようにと勧告文を送りました。

こうした教会の過ちを、わたしたちは歴史から学ばないといけないのです。




主イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入られたとき、強い指導者が現れたと人々が歓迎しました。

このとき、主イエスに死が迫っていることに弟子たちは気づきませんでした。

神から遣わされた者を排除しようとする力が、見えないところで働いている、そのことに気づかないで過ごしてしまう。私たちも、表面的な動きに気を取られて、神のメッセージを見逃しているかもしれません。

平和を祈るとき、すべてのいのちが祝福されていることを、心に刻みましょう。
(2015年8月9日)


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