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ルカ22章54~62
「牢に入っても死んでも」主に従うと言ったペトロですが、自分の身を守るために「わたしはあの人を知らない」と3度も主イエスとの関係を否定します。
そのとたんに鶏が鳴き、主が振り向いてペトロを見つめられます。
「今日、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言うだろう」
と言われた主の言葉を思い出し、ペトロは激しく泣きます。
深い後悔と絶望のなかで主のまなざしに触れて、この私を主イエスは赦し、愛してくださっているとペトロは悟ったのです。
「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
と主が言われたのは、ペトロの弱さを分かったうえでのことだったのです。
私たちは、孤立し立ちすくんでいる人を見ても、手を差しのべることなく、見て見ぬふりで通り過ぎてしまう冷たい人間です。
ささいなことで仲違いし、あいつだけは許せないと心を閉ざす狭い心の持ち主です。
しかし、主イエスの十字架を仰ぐとき、弱く小さくされた人の痛みを思いやり、手を差しのべる者へと変えられます。
主のご受難の意味を問い返しながら、和解の主に従う者となりたいものです。
(2014年4月6日)
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