ヨハネ福音書17章1~19
「栄光」とは、ヘブライ語で「重い」「重々しい」という言葉です。
そこから、神の権威、尊厳を表します。
「栄光を現す」は、神が確かに今ここで働いておられるという意味です。
十字架の死は、人の目には惨めな死としか見えないけれど、このことを通して、神がどんなに人間を愛しておられるかを示してください。
これが、
「子に栄光を与えてください。」(17:1)の意味するところです。
「永遠の命とは、・・・あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(17:3)
旧約聖書で「知る」は、深い人格的な関係を結ぶという意味で使われます。
男性と女性の場合は、夫婦になることを意味します。
ですから、「イエス・キリストを知る」は、イエス・キリストと強い絆で結ばれるという意味になります。
旧約聖書で「永遠」は、時間の長さを表す言葉ではなく、時間によって限界づけられることのない神を指します。
「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」(5:24)
主イエスの言葉を聞いて、神を信じる者は、ただちに永遠の命を得る。
罪と死の力から解放されて、新しい命に生きる、こう言われているのです。
「まことの神」(17:3)、
「真理」(17:17、19)も、旧約聖書では、「慈しみとまこと」という言い方で、繰り返し出て来ます。
「慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし」(詩編85:11)
「主よ、あなたは情け深い神/憐れみに富み、忍耐強く/慈しみとまことに満ちておられる。」(詩編86:15)
どんなに背いても、神は約束を守り続けようとされる、これが「慈しみ」(ヘセド)です。
神は信頼にあたいする、真実な方である、これが「まこと」(エメス)です。
この神のまことを、「真理」という言葉で語っているのです。
「真理によって、彼らを聖なる者としてください。」(17:17)
この「聖なる者」は、神に捧げられた者にふさわしいという意味です。
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。」(ローマ書12:1)
わたしたちの努力によって、ではありません。
「神の真実によって」です。
そして、「彼らを守ってください。」(17:11)という言葉が、何度も繰り返されます。
逃げ出してしまう弱い弟子たちだけれど、神との深い絆のなかを歩むように、どうか守ってくださいと、十字架を目前にして祈っておられる。
このことを、受難節を迎えた今、受けとめたいと思うのです。
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