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人の子は多くの苦しみを受ける

マルコ福音書8章31~9章1
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、・・・排斥されて殺され」(8:31)

という言葉に注目していきましょう。


「人の子」という言葉には、旧約聖書で三通りの用法があります。

一つは「人間」という意味です。

「人の子は何者なのでしょう。あなたが(神が)顧みてくださるとは。」(詩編8:5)
人間とは何者でしょう、こんなに神様が心にかけてくださるとは。

二つ目は、終わりの日に「人の子」のような者が天の雲に乗ってやって来て、最終的な裁きをおこない、神の支配が続くというダニエル書7章の記事です。

この用法が初代教会に広がって、ナザレのイエスこそ終わりの日に雲に乗ってやって来る「人の子」とされたのです。
でも、終わりの日のメシアとしての「人の子」は、旧約聖書でこの一箇所だけであり、例外です。

三つ目は、エゼキエル書の用法です。
「人の子」は旧約聖書で約150回出て来ますが、そのうち90回はエゼキエル書です。

「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。」(エゼキエル書2:3)

あなたを預言者として遣わすという言い方です。
「わたしの言葉を語る時、あなたは苦しみを受け、辱めを受ける。でも恐れず、語り続けなさい。」
と続きます。

主イエスの言葉は、エゼキエル書を受けているのです。
ところが、「人の子」をダニエル書の用法で説明することが多いのです。
これは、間違っています。

 


神に忠実に従って生きようとするとき、必ず苦しみを受けると、主イエスは言われたのです。
ところが、その言葉を聞いたペトロは、「とんでもない。メシアが殺されるなど、あってはならないことだ。」と言ったのです。

主イエスは、「多くの苦しみを受け、・・・排斥されて殺され」ることによって、神の愛を示してくださったのです。
神の愛に包まれて、互いにいたわりあい、助け合う関係を作れとおっしゃるのです。



旧約聖書には、「寄留者、孤児、寡婦」(申命記10:18など)を愛し、その権利を守れとの言葉が繰り返されます。

寄留者とは、戦乱や飢饉のために故郷を離れ、隣国に避難している難民です。

孤児とは、親兄弟や親戚がいなくて、頼る者のない子供です。

そして寡婦とは、夫に先立たれ、孤独で困窮している女性です。

「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)

みんなの上で力を振るい、光り輝きたいと願うわたしたちの高ぶりを、主イエスはその死によって打ち砕き、神の愛のうちを歩みなさいと招いておられるのです。
(2017年3月5日)



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