マルコ福音書11章20~33
「祭司長、律法学者、長老たち」(11:27)が、詰問しました。
「何の権威で、このようなことをしているのか。」(11:28)
すべての人の祈りの家となるべき神殿が、一握りの人によって私物化されていると、主イエスは批判したのです。
これは、国家転覆罪にあたる物言いです。
だから、「誰が許可したのか」と詰問されたのです。
ところが主イエスは、
「ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」(11:30)
と問い返します。
指導者たちは答えることができません。
神から遣わされたと答えれば、なぜ従わなかったのかと言われる。
しかし、人間の勝手な行動だと答えれば、民衆が怒るだろう。
人の目を恐れたのです。
「そこで、彼らはイエスに、『分からない』と答えた。」(11:33)
「それなら、わたしも言わないでおこう。」
きつい皮肉です。
ここで気を付けたいのは、ユダヤの指導者たちは愚かであった、と読みがちなことです。
これは、すべての人に対する警告です。
人間は、権威によってものを言うという、愚かな過ちを繰り返してきたのです。
「だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。」(11:23)
「山が海に飛び込む」は、ユダヤ独特の誇張表現です。
到底起こりえないことが起こる。
ここで、主イエスの最初の言葉は、
「神を信じなさい。」(11:22)です。
「神を信頼しなさい。」という言葉です。
平和をもたらしてくださいと、祈る。
しかし、とうてい実現するとは思えません。
人間は、何千年も戦争を続けてきたのですから。
でも、神を信頼し、あきらめないで求め続けなさい。
そういう言葉です。
「祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。」(11:25)
誰かを赦すことができないことこそ、わたしたちにとって「山」なのです。
赦し、和解することが、どんなに困難か。
しかし、心から願い求めるなら、かなえられる。
願った通りにではなく、思いもよらなかった仕方で、願った以上のことが実現するのです。
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