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故郷の言葉で

使徒言行録2章1~11
大きな物音がして、集っている一人ひとりの上に「舌」(2:3)がとどまった。
神の力が働いて、一人ひとりに福音を伝える力が与えられた。

目に見えないけれど、確かに働いている神の力を、「風」とか「神の息」という言葉で説明しています。



この人たちは、十字架の出来事のあと、震えあがって閉じこもっていたのです。
メシアと信じて期待をかけていたイエスが、殺されてしまった。

無惨に処刑された罪人が、メシアであろうはずがない。
また、異邦人に神の救いが及ぶはずがない。

こうした思い込みを、神が大音響と共に揺さぶって、打ち破られた。
そして、閉じこもっていた人たちが、大胆に福音を宣べ伝える者とされた。

物音に驚いて集まってきた人たちは、「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて」(2:6)驚き怪しんだ。

「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。」(2:7)

ここで「ガリラヤ」という言葉には、無学で愚かなガリラヤの者たちが何を言うか、と見下す様子が隠されています。
そんななか、ペトロの説教が始まります。

これほど大胆に雄弁にペトロが語ったのは、十字架で処刑されたイエスこそメシアであるとの確信が与えられたからです。
神の力に満たされ、喜びにあふれて、大胆な行動をとることができたのです。

震えあがって、うずくまっていたペトロですが、引き起こされて、大胆に語り始めた。
わたしたちも、そのように用いられるのです。

聖霊―目に見えないけれど確かに働いている神の力―は、今もわたしたちすべての人に働いています。

うずくまっているわたしたち一人ひとりに、神が働きかけ、揺り動かしてくださるのです。



五旬祭には、ルツ記が読まれました。
ルツは、モアブの人です。
ユダヤとたえず小競り合いを繰り返していたのが、モアブです。

モアブの人ルツが神の祝福を受け、ルツの子孫からダビデが生まれたという記事を、ユダヤの人たちは毎年、五旬祭に読んでいました。

それなのに、異邦人が救われるとは、思わなかったのです。
ここで数多くの地名が挙げられているのは、すべての人が神の救いから漏れることがないと語っているのです。

わたしたちも、先入観や偏見を打ち砕かれ、
違った文化、違った宗教、違った国に生きる人と共に歩むようにと招かれていることを、
ペンテコステの出来事から学びましょう。
(2017年6月4日)



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