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家を建てる者の捨てた石

マルコ福音書12章1~12
「ぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」(12:1)
この記述は、イザヤ書5章そのままです。

「ぶどう園」は、選ばれた民イスラエルを指します。

愛する民のために、神がぶどう畑を整えて豊かな収穫を約束された。



「主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/見よ、流血(ミスパハ)。」(イザヤ書5:7)

「裁き」は、左右のバランスをみる秤(はかり)からきた言葉です。
神は、人々が公平に扱われることを期待されたのに、指導者たちが無視し、「ぶどう園」は荒れ果ててしまったと言うのです。

ぶどう園の主人は、「これを農夫たちに貸して旅に出た。」(12:1)

「貸す」は、「預ける」、「委ねる」という言葉です。

主人は、農夫たちに大切なぶどう園を託した。
収穫の時になって、主人は収穫の喜びを共に味わいたいと思った。
ところが、主人が送った僕は、農夫たちに次々と袋叩きにされたり、殺されたりした。

この「殺された」という言葉は、すぐ前の「洗礼者ヨハネは、神から遣わされた人だったか、あなたがたはどう思うか」という記事につながっています。

洗礼者ヨハネが捕らえられ、殺された。それを止めようとしなかったあなたたちの責任はどこにあるのか、と問うているのです。

権威を振りかざす祭司長たちの姿は、わたしたちに重なります。
批判する人がいたら、反撃する、逆ねじを喰らわせる、自分の非を認めない。
そんなわたしたちのために、神はその独り子を送ってくださったのです。

「まだ一人、愛する息子がいた」(12:6)

息子なら大切に扱ってくれるだろう。
ところが、農夫たちは「息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。」(12:8)

最後に遣わされた神の独り子さえ、殺してしまったのです。


「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」(12:10)

これは、詩編118篇の引用です。
「捨てられた石」とは、列強に踏みにじられて滅ぼされたユダヤの民を指します。
その捨てられた民が、神によって用いられ、救いのかなめとなる。

同じように、わたしは十字架にかかって殺される。
無力な人間として殺され、うち捨てられる。
この無惨な死が、あなたがたにとって欠かすことのできない救いの礎となる。
主イエスは、そう語って、十字架への道を歩まれたのです。
(2017年6月18日)



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