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人間の尊厳をかけた抵抗を

マタイ福音書5章38~42

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(5:39)

「右の頬を打つ」は手の甲で叩くこと、つまりお前を殴ったら手が汚れるという侮辱行為です。
ですから、右手の甲で打たれるという侮辱にあっても、その屈辱に耐えなさいという意味なのです。



「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。」(5:40)

「下着」は、わたしたちが思い浮かべるような下着ではなく、肩から足もとまでの普通の長い衣服です。
ユダヤには、借金のかたに上着をとってはならないという掟があります。

「隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。・・・彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。」(出エジプト記22:25~26)

「上着」とはコートのようにかぶる衣服で、夜には寒さをしのぐ夜具になる。
着ている服を差し出すしかないほど貧しい人から最後の服を取り上げておきながら、上着には手を出していないから自分は律法を守っているなどと言う奴には、上着までくれてやれ。
そこまでしなければ、どんなにひどい仕打ちをしたか、分かっていないと言うのです。

「だれかが、1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。」(5:41)

「強いる」は、「徴用する」という意味の言葉です。
軍隊が住民をつかまえて、この荷物を隣りの町まで担いで行けと命令する、そういう強制労働を指しています。
ギリシア語で距離を表すとき、普通はスタディオンを使います。
ローマの単位であるミリオンという言葉を聞いて、人々はローマの兵士から無理強いされた苦い経験を思い浮かべたことでしょう。
ローマに逆らえない、みじめな立場であることを思い知らされる、屈辱的な仕打ちだったのです。

「手向ってはならない」(5:39)

「手向かう」は、「武装して抵抗する」という言葉です。
ローマの兵士たちが無理難題を言っても、立ち向かってはならないとは、いったい主イエスはどういうつもりなのか、と疑問を呼び起こす言葉です。


実は当初、「善をもって悪に勝つ」という説教題にしていました。
ところが、これではダメだと気がついて、変更しました。
自分は善で、相手を悪だと考えている。
しかし、立場が変われば、自分も悪事を働く。
自分のなかに悪の芽があることを認めることが、第一歩なのです。




ここで主イエスは、悪をなすがままに放置せよと言われたのではありません。
神がすべてを支配しておられると信じるがゆえに、絶望的な状況のなかでも神に裁きを委ね、甘んじて十字架の死を引き受ける戦いをなさったのです。
(2018年5月27日)




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