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然りは然り、否は否

マタイ福音書5章33~37

「一切誓いを立ててはならない。・・・あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。」(5:34、37)と聞いて、とまどいませんか。
そっくりの言葉が、ヤコブ書に出てきます。
「誓いを立ててはなりません。・・・あなたがたは『然り』は『然り』とし、『否』は『否』としなさい。」(ヤコブ書5:12)
どちらも同じ伝承をもとにして編集されています。
ところが、言いまわしが微妙に違います。



ヤコブ書では、最初の「然り」と「否」に定冠詞が付いています。
あとの方の「然り」と「否」には、冠詞なしです。
そして、「~である」という動詞の三人称命令形が使われています。

最初の「然り」と「否」は主語で、後の方の「然り」と「否」は述語です。
「然り」(なるほどそうですね)と言うべきものについては、「然り」(そうですね)と言いなさい。
「否」(違う)ということには、「違う」と言いなさい。
ヤコブ書の方はそういう言葉です。

一方、マタイ福音書の方は、単なる反復で、誓いの決まり文句です。

誓約をすべて否定するのであれば、結婚の誓約も、洗礼に際しての信仰告白も、できません。
主イエスが禁じたのは、どんな誓いでしょうか。

王や権力者は、絶対服従を誓わせる。
誓いを破ると、きびしく罰せられる。
たとえその命令がおかしいと思っても、なかなか逆らうことができない。
そんな愚かな誓いを誓ってはならない、と主イエスは言われたのです。

人間には、権力者に擦り寄っていこうとする心の動きがあります。
それにつけ込んで、わたしの言うことを聞くならお前を守ってやろう、わたしの子分になれといったことが、どんなグループにもあります。
いつも自分の周りに子分を集めないと安心できない人がいます。
逆に、自分の方から近寄っていく人もいます。

主イエスが言われたのは、単に「誓うな」ということではありません。
誰かに従うことによって、守ってもらおうなどと考えてはならない。
そういう愚かな関係に身を置くな。ただ神だけに従いなさい、と言われたのです。



神の前に、一人の人間として立ちなさい。
自分の弱さと罪深さを隠そうとせず、うわべを飾らずに生きなさい。
その時、あなたは神から支えられ、力を与えられる。恐れることはない。
そう励ましてくださっているのです。
(2018年5月13日)




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