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仕え続けた

マタイ福音書8章14~17 

「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。」(8:16)

ユダヤでは日没から一日が始まります。
夕方になって病人を連れて来たのは、安息日が終わったからです。
日が沈んだので、急いで病人を連れてきたのです。



「熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。」(8:14)
熱病で倒れている女性をごらんになり、安息日だったけれど癒されたのです。

「しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。」(8:15)

「もてなす」という言葉は、食事の時に召使が給仕することを言います。
食事の「給仕をする」ことから人に「仕える」、
主イエスに仕えることから「弟子になる」、
人々に仕えることから「奉仕する」というように意味が広がっていきました。

今日の箇所は過去形で書かれていますが、
「もてなした」だけは未完了形です。
この女性はこの時以来、主イエスに仕え続けたのです。

「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。』」(8:16~17)

わたしたちは、わずか2行の引用を読んでも、どこから引用されたものか分かりません。
しかし、当時のユダヤの人たちは、イザヤの預言を一気に思い出し、主イエスの癒しの業と結びついたのです。



最後の晩餐の時、主イエスは奴隷の姿で弟子たちの足を洗ってくださった。
そして、
「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」(ヨハネ13:14)

さらに、
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。・・・友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:12~13)

と言われました。

そして、十字架にかかって死んでくださった。
主イエスは、人々に仕える姿をはっきりと示されたのです。

「彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。・・・彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ書53: 5)

というイザヤの預言を、心に刻みたいと思います。
(2018年9月16日)






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