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光のあるうちに

ヨハネ福音書12章27~36


「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。
それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。」(12:34)

ダビデのような強い王が現れて、イスラエルの民は解放される、そしてその王国は永遠に栄える、人々はそう信じていました。

ところが、福音書の描くメシア(キリスト)は、過越の小羊として、十字架にかかって死ぬのです。

「メシアなら、なぜ殺されるのか。無惨に殺されたナザレのイエスは、本当にメシアなのか。」と群集が問います。



これは、一種の文学的表現です。

過越の小羊として十字架にかかって殺される、その姿にこそ神の愛が示されている、そのことをあなたは信じるか、と問うているのです。

過越の祭は、出エジプトの前夜、小羊の血を戸口に塗ることによって死を免れた出来事を記念する祭です。

過越の小羊として、神の子が十字架に架けられて死ぬ、そこに神の御心が示されているというのです。

人々が待ち望んでいたメシア像と、福音書のメシアがこんなにも違うことが、ここで語られています。

ヨハネ福音書で「光と暗闇」と言うとき、この世には光の勢力と闇の勢力、正義と悪がある、あなたはどちらに付くのか、と言っているわけではありません。

ところが、悪と戦うために立ち上がるよう呼びかけられていると考えて、何度も「正義の戦争」を引き起こしてきた歴史があります。

世の中の出来事を正義と悪で色分けしていく考え方は、たいへん危ないのです。



光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」(12: 36)

ここで「光の子となる」は、ギリシア語の文法では1回限りの出来事です。

神の言葉に出会う(救いに入れられる)ことは、一回限りの出来事であり、恵みの業なのです。

「光を信じなさい。」は、継続・反復を示しています。

あなたは神の言葉に出会っている、キリストに出会い、すでに救いに入れられている。その出来事は揺らぐことがない。

あなたはすでに光の子とされている、だから光(キリスト)を信じ続けなさい。」という言葉なのです。
(2015年8月23日)

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