マルコ福音書5章21~34
会堂長の一人ヤイロは、娘の命が危うい中で、立場や権威を投げ捨て、主イエスの足もとにひれ伏します。
「どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」(5:23)
ヤイロの願いを聞き、主イエスは出かけます。
そこに
「十二年間も出血の止まらない女」(5:25)が割り込んできます。
レビ記は、出血について、「汚れている」という言い方をします。
差別的で戸惑うのですが、
「女性の生理が始まったならば、・・・この期間に彼女に触れた人は・・・汚れている。」(レビ記15:19)
と記されています。
「もし、その期間を過ぎても出血があるなら、同じように汚れている、その人に触れてはならない、触れた人は同じように汚れる」としています。
出血の続く女は、汚れを撒き散らす者として、排除されたのです。
「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず」(5:26)
と書かれています。
財産を失ったことや病気の苦しみ以上に、人々から蔑まれ排除されて、ひどく傷ついたはずです。
ヤイロの娘は12歳です。
少女が家族や周囲の人たちから愛され、大事にされてきた12年間と同じ年月、この女性は人々から疎んじられ、泣きながら暮らしてきたのです。
「この方の服にでも触れればいやしていただける」(5:28)
聖なるものに触れたら癒されるという素朴な信仰は、世界中どこにでもあります。
まじないを信じるような、愚かな信仰かもしれません。
ただ癒やされたいという必死の思いです。
「わたしの服に触れたのはだれか」(5:30)
女は、「恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し」ます。(5:33)
出血の続く女が人混みに出るなど、許されることではなかったのです。
もし露見したら、律法を破った者として、きびしく罰せられる。
だから、病気が癒された喜びも吹き飛んでしまって、震えながら進み出たのです。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。」(5:34)
傷つきすがりつく女性を、主イエスはしっかり受け止めてくださったのです。
その信頼を持ち続けなさい。
やがてあなたは、病気が癒やされただけでなく、丸ごと救われたことが分かるだろう。
「安心して行きなさい。」(5:34)
これは、「行きなさい、シャロームの内を」です。
行きなさい、神の平和の内を。
神が共に歩いてくださる。
わたしたちは、しっかりした信仰、きちんとした理解に達しないと神に近寄れないと、どこかで思っています。
でも、そのままで、わたしの前に立ちなさい。
そう主イエスは求められるのです。
この女性も、不十分なままで主イエスの前に呼び出され、救いにあずかったのです。
(2016年10月9日)
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