マルコ福音書6章14~29
バプテスマのヨハネは、マルコ福音書の冒頭から登場します。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。・・・ 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」(1:3~4)
この呼びかけに続いて、主イエスの活動が始まります。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:15)
今日の箇所で登場するヘロデは、クリスマス物語に出て来るヘロデ大王の息子です。
ヘロデ大王の死後、ローマの許しを得て領地を3分割し、ガリラヤとペレアの領主になりました。
ヘロディアはヘロデ大王の孫で、ヘロデ大王の息子フィリポと結婚してローマで暮らしていました。
ところが、夫を棄ててガリラヤに来て、夫の腹違いの兄弟であるヘロデと一緒になったのです。
バプテスマのヨハネは、この乱脈な婚姻とローマに媚びる政治を厳しく批判して、牢につながれたのです。
バプテスマのヨハネの最期と、主イエスの死が重なり合うのは、次の四つです。
①ヨハネが処刑されたのはヘロデの誕生日の祝いの席、主イエスが処刑されたのは
過越の祭りのときです。
②娘は母ヘロディアの言うままにヨハネの首を所望し、民衆は大祭司たちに操られて
「イエスを十字架に付けよ」と叫んだ。
③ヘロデもピラトも、罪がないことを知りながら処刑を命じた。
④ヘロデは皆の前で口にした約束を破るわけにいかず、体面を守ろうとした。ピラトも
民衆の勢いに押され、自分の権威を守ろうとした。
こうして、愚かな領主の手で処刑されたバプテスマのヨハネは、謀略によって十字架につけられた主イエスの死の先駆けであったと、マルコ福音書は語るのです。
「衛兵は・・・ヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。」(6:27~28)
ここで、「渡す」という言葉が繰り返されています。
この「渡す」の強意形「引き渡す」は、主イエスの受難に際して使われる言葉です。
「人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。」(10:33)
バプテスマのヨハネが「渡され」、主イエスが「引き渡された」のです。
そして、主を引き渡したのは私たちなのだと、聖書は語ります。
ヘロデやピラトの姿は、罪を露わに示しています。
わたしたちは人の顔色を恐れて、あるいは自分の身を守るために、人を陥れるようなことをしでかすのです。
そんなわたしたちのために、主イエスは十字架につかれたのです。
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