イザヤ書40章1~11
預言者イザヤは、紀元前739年から40年間、預言活動をしました。
北のイスラエルはアッシリアに滅ぼされますが、イザヤは南のユダの王アハズに助言します。
「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」(イザヤ7:4)
エジプトやバビロニアに助けを求めるのではなく、神の声に従う時にこそ救いがある。
イザヤの死から約100年、紀元前598年に南の国ユダはバビロニアに滅ぼされ、王をはじめ数千人がバビロン(今のイラク)に移住させられます。
バビロン捕囚です。10年後には、エルサレム神殿が破壊されます。
捕囚は60年続きましたが、その最後の時期、イザヤの約200年後に無名の預言者がバビロンで活動しました。第二イザヤ、イザヤ書40章~55章です。
イザヤ書40章は、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」(40:1)という言葉で始まります。
エルサレムに帰る日が来る、新しい出発のときが来る。そのことを告げて、「慰めよ」なのです。
「エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ」(40:2)
「心に語りかける」は、「女性を口説き落とす」という意味の言葉です。
神がエルサレム、つまりイスラエルの民に語りかけて、取り戻そうとされるのです。
「荒れ野に道を備え、・・・荒れ地に広い道を通せ。」(40:3)
「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。」(40:4)
荒野や山野が変貌し、エルサレムに帰る備えがなされる。
同時に、民の心の壁を打ち砕き、民の心を奮い立たせよというのです。
「草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹き付けたのだ。」(40:7)
神の力が及ぶとき、どんな権力者も、草のように一瞬にして枯れる。
しかし、人々は「もう帰る気などない。今のままでいい。」と言ったのです。
約束の地へと招かれても、苦しい思いをするぐらいなら、奴隷のままでいる方がいい、と考えるのがわたしたちです。
そんなわたしたちに、神は呼びかけてくださるのです。
偽りの生き方に安住するのではなく、約束の地に向かって旅立とうと。
約束の地での新しい生き方を待ち望む。これが、アドヴェントです。
あなたを閉じ込めている力、偽りの暮らしに縛られていないで、一歩踏み出しなさい。
わたしは羊飼いとして、あなたを養い導く。わたしに従いなさいと、言われるのです。
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