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敵意に囲まれて

マタイ福音書2章13~23

「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」(2:15)。

マタイ福音書で「子」(フュィオス)は、「神の子」としての「キリスト」、「救い主」を意味します。
ここではホセア書を引用して、愛する我が子を世に遣わしたと語っているのです。



「ヘロデは・・・ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」(2:16)
バプテスマのヨハネを殺したのは、ヘロデの息子です。
血で染まった残虐な王として、ヘロデの名は人々に記憶されました。

「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。」(2:18)
エレミヤ書31章が描くのは、国が滅び、夫や息子たちが連れ去られる場面です。
愛する息子を失った母の泣く声が、昔のように今もこの地に響いているというのです。

しかし、エレミヤ書はそれだけで終わっていません。
「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。・・・息子たちは自分の国に帰って来る。」(エレミヤ書31:16~17)
その後にさらに預言が続きます。
「新しい契約を結ぶ日が来る。・・・わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書31:31、33)

マタイ福音書だけ読むと、子供を殺された母が泣いているというだけで終わってしまいます。
しかし、回復の約束が語られ、新しい契約が宣言されているのです。


「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」(2:20)

これは、出エジプト記4:19と重なります。
幼子イエスの物語と重ね合わせる形で、奴隷の地、悪の支配のもとで苦しむ者が助け出される、「新しい出エジプト」が宣言されています。



「預言者(たち)を通して言われていたことが実現するためであった。」(2:15、17、23)
と、3回繰り返されています。
予定通りのことが起こった、というのではありません。

どんなに背き続けようと、神は約束を果たされる。
わたしたちは、奴隷の状態から呼び出されて、新しい命を生きるようにと、招かれているのです。
(2018年1月7日)



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