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時が来れば実現する

ルカ福音書1章5~25
ルカ福音書は、ザカリアへの告知を最初に置きました。
「メシアに先立ってエリヤを送る」というマラキ書の預言の成就として、洗礼者ヨハネが生まれることが告げられます。



「あなたの願いは聞き入れられた。」(1:13)
「メシアを来たらせたまえ」という、イスラエルの民の願いがかなえられるというのです。
年老いたザカリアとエリサベトは、アブラハムとサラを連想させます。
子どもがなく、年老いていました。
子どもが生まれるなど、考えられないことです。

「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。」(1:18)

ザカリアは、「何か証拠を見せてほしい」と言ったのです。
ザカリアの口が利けなくなったのは、神の出来事であるしるしです。
神の力が働くとき、人間の知恵など吹き飛び、驚くべき出来事が起こるのです。
ザカリアへの告知、マリアへの告知は、神の一方的な宣言です。
マリアの箇所に、こう記されています。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」(1:35)
「神の息吹」、「すべての命の基である神の力」があなたを包むとき、驚くべきことが起こる。
「喜ばしい知らせ」(1:19)は、自分にとってではなく、「すべての人にとっての喜ばしい知らせ」なのです。
「時が来れば実現するわたしの言葉」(1:20)
「言葉」は、ヘブライ語でダーバル、「出来事」という意味もあります。
「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」(創世記1:3)

神の言葉は実現し、出来事になる。
「時が来れば」は、「あと何年待てば良いのでしょうか」と、時計で計る「時」ではありません。
どうかわたしを用いて御心を行ってくださいと、心を開いて一歩踏み出す。
その時、大勢の人と新たな関係をむすぶことができる。
自分の思いを越えて、豊かな実が結ばれていく。
それなのに、わたしたちは心を閉ざしていることが多いのです。


わたしたち一人ひとりに、神はいつも語りかけておられます。
神の命の息吹は、いつもわたしたちを包んでいます。
そのことを受け入れて歩むことによって、まことの喜びを見出していければと思います。
(2016年12月4日)


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