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時は満ち、神の国は近づいた

マルコ福音書1章12~15  


イザヤ書やエレミヤ書で「時は満ち」は、バビロン捕囚の時が満ち、苦しみのときが終わって解放の時が来る、ということです。
黙示文学の場合は、苦難の時が終わって、終わりの日が来る、究極の救いが実現する、ということです。

マルコ福音書の「時は満ち、神の国は近づいた。」(1:15)は、現在完了形です。
「すでに神の国は来ている」「今、神の国が目の前にある」、そういう言葉です。

苦難の時が終わって、神の時がもうすぐ来ると言っているのではなくて、今、神の国が目の前に来ている。
そのことに気づきなさいと言っているのです。
マルコ福音書は、3箇所で「神の国」について語っています。

一つは「神の国は、・・・夜昼、寝起きしているうちに、・・・芽を出して成長する」種のようだ(4:26~27)、という言い方をします。
種が蒔かれる、するとわたしたちが寝ているときも起きているときも種は成長して、大きな実を結ぶようになる。
つまり、目の前にある神の国に、わたしたちが気づくかどうか関係なく、神の力は働いているというのです。

二つ目は、「神の国は、・・・からし種のようなものである。
・・・どんな種よりも小さいが、蒔くと、成長して・・・葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(4:30~32)
神の働きは、わたしたちの目にとまらないけれど、実は驚くほど大きなものだ、というのです。

三つ目は、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(10:15)
神の国は目の前にある。
しかし、世の知者には分からない。
軽んじられている子供のような者だけが、神の国に入ることができる、というのです。

神の子であるイエスが来て、神の言葉、神の愛を伝えてくださる。
すべての人に神の愛が及ぶことを、主イエスが語り始めた。
これが、「神の国が目の前に来た」ということなのです。



自分の力でこの世を乗り切ろう、この世で力を得よう、この世で成功しようという自分を明け渡して、神の愛を伝える主イエスを信じ、主イエスに信頼して歩む。
そういう風に自分の生き方を変える。これが「悔い改めて福音を信じなさい。」(1:15)ということなのです。
(2016年6月5日)

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