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柔和な人々は幸い

マタイ福音書5章5

「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」(5:5)
は、詩編を下敷きにしています。
「柔和な者は国を継ぎ・・・」(口語訳、詩編37:11)が、新共同訳では「貧しい人は 地を継ぎ・・・」となっています。



「柔和な」とか「貧しい」と翻訳されているヘブライ語「アニー」は、「低くする」(アナー)という動詞から生まれた形容詞で、「何かが欠けている」ことを表します。
「何かが欠けている」ことから、お金も財産もなく「貧しい」という意味が生まれ、「力が欠けている」ことから、「高ぶらない」という意味が生じるのです。

教会は長いあいだ、「柔和と謙遜」の教えと理解してきましたが、そうではありません。
人間は自分自身に、まわりの人に、そして社会に、がっかりするしかない。
でも、そんなあなたを、神は祝福してくださっている。
だから、泣かなくていい、希望を持ちなさい。そんな言葉なのです。


I have a dream「わたしには夢がある」というキング牧師の詩は、1963年8月28日におこなわれた、ワシントン大行進での演説の中に出てきます。
人間としての権利を黒人に保障せよという公民権運動のきっかけになったのは、1955年にアラバマ州のモントゴメリーで起こったバスボイコット運動です。

この非暴力・不服従の闘いを、キング牧師はインドのガンジーから学びました。
イギリスからの独立運動を指導したガンジーは、武器を持って闘うのではなく、服従しないことによって抵抗する道を選びました。
この非暴力・不服従の運動を、ガンジーは山上の説教から学んだのです。

悪に対して力で立ち向かうのではなく、神に信頼して相手の良心に訴えかける、その真実な働きかけこそ、神に従う道なのです。



「柔和な」というと、争わない、逆らわない、黙って従うことに結びつきます。
しかし、世の中が間違っているときには、これはおかしいと、抗議の声を上げることが必要です。
踏みつけられている人、不当に押さえつけられている人のために声をあげ、闘い続ける。これが、主に従うことなのです。
(2018年3月4日)




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