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権威ある者として

マタイ福音書7章24~28

「岩の上に家を建てる」というたとえは分かりやすいのですが、これを勘違いして、「岩の上に家を建てると安全だ、何の心配もない」と受け取ってしまうことがあります。

安全だとは、書かれていません。
「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても」(7:25)
大雨や洪水や暴風が襲うのです。

しかし「倒れなかった。」(7:25)




そこに逃げ込めば安心だ、何の心配もなく心穏やかに過ごせる、という招きではありません。
むしろ、試練に耐えて闘う覚悟を迫っているのです。

わたしに従うとき、何の困難もない平穏な暮らしが約束されるわけではない。
いろんな闘いを招くかもしれない。
困難を呼び起こすかもしれない。
でも、わたしにしっかりとつながって生きる時、必ずまことの喜びが与えられる、という主イエスの招きなのです。

創世記1章の創造物語を思い出してください。
神様は世界を、すべてのいのちを、良いものとしてお造りになった。

しかし、その幸いな世界が歪められている。
その歪められた社会を正しなさい。
不法が行われるとき、そこで異議を申し立てなさい。

「わたしの・・・言葉を聞いて行う者」(7:24)
「わたしの・・・言葉を聞くだけで行わない者」(7:26)

「行う」という言葉が繰り返されています。
わたしの言葉に応え、行動を起こしなさい、と呼びかけられているのです。


日本の文化の中で「救い」というとき、汚れ果てた世を捨て、争いから身を引いて、心穏やかに過ごすというイメージがあります。
聖書の語る救いは、まるで反対です。
闘いを覚悟し、困難を引き受けることを含んでいます。



「権威ある者としてお教えになった・・・」(7: 29)
という結びの言葉は、何を語っているでしょうか。

「わたしの言葉を聞いたあなたは、それに応えて生きなさい。困難はあるだろう。いろんな逆風が吹くだろう。しかし、わたしとつながっている限り、倒れることなどない。だから安心して、立ち上がりなさい。」

これが、「岩の上に家を建てる」というたとえの示す姿です。

自分一人の平安に逃げ込むのではなく、招きに応えて自分の責任を果たしなさい、と言われる主イエスの励ましを受け止めて歩みましょう。
(2018年8月26日)



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