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深く憐れみ

マルコ福音書6章30~44
「人里離れた所」という言葉が、3回繰り返されています。

マルコ福音書の冒頭に「荒れ野で叫ぶ者の声がする。」(1:3)という言葉がありますが、
「人里離れた所」はこの「荒れ野」に通じる言葉です。
「荒れ野」は、神によって養われ、導かれた出エジプトの出来事に通じています。



「飼い主のいない羊」(6:34)という表現も、旧約聖書に繰り返し出てきます。
「飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」(民数記27:17)
これは、良き後継者を与えてくださいというモーセの訴えです。

エゼキエルは、バビロン捕囚の民に語りました。
「主なる神は・・・失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。」(エゼキエル書34:16)

「深く憐れみ」(6:34)という言葉は、追いはぎに襲われて半殺しにされた人を見てサマリヤ人が「憐れに思い」(ルカ10:33)という言葉と同じです。
ヘブライ語ではラハミーム、女性の子宮からきています。
はらわたが痛む、心から同情するという言葉です。
主イエスが腹の底から同情されたというのです。

「五つのパンと二匹の魚を取り」(6:41)5と2を足して7、7は完全数です。
わずかに見えるかもしれないけれど、十分なものがあなたがたには与えられている。
これを分け与えなさい。
分け与えても、分け与えても、尽きることがないだろう。

「天を仰いで賛美の祈りを唱え」(6:41)これは、食事の時に捧げる祈りです。
今日は収穫感謝日で、野菜や果物が並んでいます。
一生懸命汗を流して水をやり肥料をやって、収穫されたものです。
でもこの命は、神様から来ています。
野菜や果物の一つひとつ違う微妙な味わいを、わたしたちが作れるはずがありません。

「すべての人が食べて満腹した。」(6:42)
これは、「神の国の宴会」(イザヤ書25章)の姿です。
「荒れ野」でみんなが満腹したという出来事と、絶望している者に命のパンを与えてくださるということが、重ね合わせて語られています。
弟子たちは、旅から帰ってきたところでした。
主イエスの言葉を語り、悪霊を追い出し、病人を癒したのです。
人々に命のパンを与えてきたのです。
ところが、「あなたがたが・・・与えなさい」(6:37)と言われて、とまどいます。
そんなお金もないし、こんな寂しい場所で食糧を手に入れることなどできないと思ったのです。

でも、後になって分かります。
主イエスは深く憐れみ、ご自分をパンとして与えてくださったのだと。
このことを、感謝をもって受け止めましょう。
(2016年11月20日)


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