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真理はあなたたちを自由にする

ヨハネ福音書8章31~38

国会図書館には、「真理がわれらを自由にする」という額が掲げられています。
この言葉は、自然科学や科学技術の発達、
あるいは歴史や社会科学への洞察を深めることによって、
民主的な社会や平和を実現するという期待を込めて、よく図書館や大学に掲げられてきました。

しかし、ヨハネ福音書はこの言葉を全く異なる文脈で語っています。



「真理はあなたたちを自由にする」(8:32)という言葉のすぐあとに、
「だれでも罪の奴隷である。」(8:34)という言葉が続きます。

「自由」と対比されているのは、「罪の奴隷」です。
あなたたちは罪の奴隷であり、しかもそのことに気付いていないと言うのです。


「罪」は、神に背き、的外れであることを意味します。
「罪の奴隷」とは、立派な行いを積み重ねることによって救いを手にすることができると思い違いをし、
的外れなことに一生懸命になっていることを指しています。

ところで、この話の相手は、
「ご自分を信じたユダヤ人たち」(8:31)です。

主イエスを信じているつもりの人たちに向かって、
「あなたたちは罪の奴隷だ」と言っているのです。

律法を守ることが神に従うことだと考え、自分は救いから外れることはないと思い込んでいる。
だから間違いを犯した人、病気の人を排除する。
汚れた者を神殿から閉め出すことを、正しいと思っている。
あなたの信仰は、もしかして的外れではないか、
自分勝手な熱心さで誰かを踏みつけにしていないかと問われているのです。



「真理はあなたたちを自由にする」のすぐ前に、
「わたしの言葉にとどまるならば」(8:31)という言葉があります。

「とどまる」は、「泊まる」(1:39)、ぶどうの木に枝が「つながる」(15:4)
と同じ言葉です。

ぶどうの木につながる枝のように、主の言葉につながることによって、
わたしたちは自分の的外れな姿、罪深さに気づくのです。

そして、新たな生き方へと立ち上がらせていただきましょう。
(2015年3月8日)

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