マタイ福音書4章1~11
聖書で40という数字は、試練や苦しみを受けるのに十分な長い年月を表します。
主イエスの四十日間の断食は、モーセが十戒を授かった故事(出エジプト記34:28)に重ねて、決定的な救いの出来事が始まることを告げているのです。
「すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。」(4:3)
「誘惑する者」は、「悪魔」(4:5)、「サタン」(4:10)とも書かれています。
「サタン」はヘブライ語で敵対する者、「悪魔」はギリシア語でディアボロス、中傷する者です。
悪魔のささやきは、疑いや妬みの種を蒔いて、神に背くよう仕向けます。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」(4:4)
「神の子なのだから」とおだて、いつまで待っているのだ、自分でさっさと行動しろ、と唆したのです。
主イエスが答えます。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(4:4)
引用された申命記を見ていきましょう。
「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。・・・人は主の口から出るすべての言葉(もの)によって生きることをあなたに知らせるためであった。」(申命記8:2~3)
荒れ野の40年の旅は、パンだけでなくすべてが主から与えられていることを知るためであった。
この試練を通して、神に従う民とされたのだ。
こう語って、悪魔の誘いを撃退なさったのです。
「次に、悪魔はイエスを・・・神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『・・・天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」(4:5~6)
これは、詩編91篇の引用です。
悪魔は、聖書の言葉さえ使って、わたしたちを唆すのです。
どんな危険からも守られているところを見せれば、人々はあなたがメシアであると信じるだろう。
「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」。(4:7)
これは、申命記6:16の引用です。
荒野の旅を続ける人々は、飲み水に困ってモーセに迫ります。
「本当に神はおられるのか。その証拠を見せろ。」
神がおられるなら、こんな不運な目に遭うはずがない、と考えてしまう。
しかし神は、願いとは違う形で、願いに勝る良いものを、必要な時に与えてくださるのです。
三つ目の試みです。悪魔は言います。
「世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」(4:8~9)。
語順に注目すると、こうなります。
人間の王国支配と栄華を見せて、言った。
「あなたに、みんなあげるよ。もし、わたしを拝むならね。」
権力によって支配し、豊かな暮らしを与えたら、みんな喜んでついて来るはずだ。
無惨な十字架の死が、本当にメシアの道なのか、と問うているのです。
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