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罪人を招くために

マタイ福音書9章9~13

ローマ帝国は、税を取り立てるにあたって、地域ごとに請負人を入札で決めました。

税の取り立てを植民地の住民に押しつけて、ローマ自身は手を汚さない。
少々懐に入れても目をつぶって、決められた税を前払いで納めさせる制度でした。



徴税人は、多額の税を前払いで納めることによって、権利を得ました。

取り立てそこなうと大損する、リスクの高い仕事です。
上乗せして取り立てないと、損をするかも知れない。
こうして、取り立てやすいところからできるだけ取り立てようとしたのです。

徴税人は、なぜ蔑まれていたのでしょうか。
ローマのために働いていたからです。
しかも、異邦人と接して汚れている、と見られたのです。

ファリサイ派の人たちがとがめます。

「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」(9:11)

「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。」(9: 13)

は、ホセア書6:6の引用です。
罪人とともに食事をするのは、預言者の言葉に忠実に従った結果だと言うのです。

よく見ると、ホセア書の「愛」が、マタイ福音書では「憐れみ」に変わっています。
ホセア書で「愛」は、ヘブライ語のヘセドが使われています。
ヘセドは、「慈しみ」とも訳されます。
人間がどんなに背き続けても、変わることなく愛を注いでくださる、神の真実、まこと、です。


「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(9:13)

「正しい人」とは「義なる人」、ギリシア語でディカイオスです。
「信仰によって義とされる」と言うときの「義」が、ディカイオスネーです。
「自分は義であると自負する人」ではなくて、わたしには何の値打ちもないと考えている人、人から後ろ指を指されるような「罪人」を、神は招いておられるのです。



「彼は立ち上がってイエスに従った。」(9:9)

「立ち上がる」(アニステーミ)は、横たわっていた病人が立ち上がる、何か発言するために、行動するために立ち上がる。
これが、アニステーミです。
名詞形でアナスタシスは、「復活」です。

マタイという人は、仕事の現場で、主イエスから「わたしに従っておいで」と声をかけられたのです。
「そのままで従って来なさい」と言われたのです。

「わたしは、義なる人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ」、と言ってくださった。
ここに、救い主の姿がはっきりと描かれています。
(2018年10月21日)






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