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花婿と共にいる喜び

マタイ福音書9章14~17


「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」(9:14)

バプテスマのヨハネは、終わりの日の審きを免れるために、悔い改めのバプテスマを迫りました。
彼の弟子たちは、禁欲的な姿勢を受け継ぎ、主イエスが徴税人たちと宴会をして騒いでいるのを見て、腹を立てたのです。



わたしたちも、そういう考え方に傾きがちです。
日本の教会では悔い改めが強調され、真面目に忠実に信仰生活を守ることが重視されます。

これはうっかりすると、バプテスマのヨハネの信仰やファリサイ派の信仰にとどまっている、ということになりかねません。
主イエスが語ってくださった喜びに、至っていないという面があるのです。

「花婿が一緒にいる」(9:15)

花婿と花嫁の部屋に招き入れられたごく少数の友人たちが、杯を酌み交わしながら喜びを共にするのです。

花婿の喜びを我がことのように喜ぶ、花婿と一緒にいることで喜びが溢れてくる、親しい友の喜びを共に喜び、深い絆を味わう喜びなのです。

新郎の祝いの部屋に招き入れられて、今、喜びを味わっている。
だから、喜びにはじけるのです。

今日は、洗礼式があります。
洗礼(バプテスマ)には、どういう意味があるでしょうか。

①救い主イエスと結ばれて、一つにされる。
②罪の体が死に、新しい命に生かされる。
③罪の赦しが与えられる。くよくよと思い悩むことから解放され、大胆に行動できるようになる。
④聖霊が与えられる。神の命の息吹が吹き込まれる。
⑤教会の交わりに加えられる。世界中に広がる教会の交わり、時を超えた聖徒の交わりに加えられる。

洗礼は一人の人の救いにとどまらない、みんなの喜びなのです。



「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(9:17)

主イエスの福音には、「古い革袋」、すなわち掟や断食や宗教的な儀式を打ち破るほどの、ダイナミックな力がみなぎっていて、小さな枠組みに閉じ込めることなどできないのです。

わたしたちは、主イエスが語ってくださった福音を信頼し、主イエスに従って歩むことで、喜びにあふれて歩むことができます。
何ごとをも恐れず、失敗や間違いを恐れることなく、大胆に行動することができるのです。
喜びにあふれて、周りの人と喜びを分かち合う歩み、新しい命へと、招かれているのです。
(2018年10月28日)





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