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耳を開き、口を開く主

マルコ福音書7章31~37

「この方のなさったことはすべて、すばらしい。」(7:37)

これは、創世記1章と重なっています。
「見よ、それは極めて良かった。」(創世記1:31)

神様がお造りになった世界、命は、すべて素晴らしい。
耳が聞こえず口がきけないこの人は、何かの罰を受けている、神の祝福から外されている、と考えるのは間違っている。
すべての人は祝福されていると、主イエスは宣言なさったのです。



「エッファタ」「開け」(7:34)

印象深いアラム語が響きます。
これはすぐ後の「たちまち耳が開き、舌のもつれが解け」(7:35)
につながっています。

悪魔的な力によって耳を塞がれ、口を縛られていた人が、「開け」と命じられた主イエスの言葉によって、解き放たれたというのです。

ここで、この人が癒やされたのはその信仰の故だ、と考える人がいます。
でも、この人の信仰については、何も書かれていません。
「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」(イザヤ書35:5~6)

イザヤの預言した「救いの時」が、今、始まった。
「見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く」のは、そのしるしなのです。



イザヤは、国が滅びようとするなかで、神の言葉を語りました。
しかし、人々は耳を貸そうとしませんでした。

聞こえないのではなく、聞こうとしなかったのです。
世の中に起こっている出来事を見ようとしない、聞こうとしない、気がついても発言しない、知らん顔をして気づかなかった振りをする。
それがわたしたちの姿です。
しかし、「救いの時が来る」というのです。

大国の支配から解放されるだけでなく、自分で自分を縛っている呪縛から解き放たれるのです。

「救いの時が来る」とき、わたしたちの心と体は解放され、「鹿のように躍り上がる。」何ものをも恐れず、ただ神のみを見上げて歩む者に変えられる。
その救いの時が、今、目の前に来ているのです。



今も主イエスは、「エッファタ」「開け」と、わたしたちに呼びかけておられます。
「エッファタ」という主イエスの声を受け止めて、真実を聞き、真実を見、真実を語る、そういう者とされたいと願います。
(2017年1月29日)




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