忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

見捨てて逃げた者

マルコ福音書14章43~52
「ユダは・・・イエスに近寄り、『先生』と言って接吻した。」(14:43)
接吻が合図とは、凄まじい裏切りです。
主イエスは、歯向かうことなく捕らえられます。

弟子たちは、メシアは悪を討ち滅ぼして、神の権威を示されると信じていました。
何の抵抗もせず捕らえられるとは、考えもしなかったのです。



「これは聖書の言葉が実現するためである。」(14:49)
「こうして預言が成就した」という表現です。
神が手を下して止めることもできたが、あえてそのままにさせた。
こうして、神の計画が実現した。そういう言葉です。

20世紀最大の罪は、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺と、広島・長崎への原爆投下です。
どうして、あんなことが起こったのか。
どうして、神は止めてくださらなかったのか。
止めなかったのは、人間です。
600万人もの人が殺されたなんて、知らなかった。
そう言うかもしれません。
でも、自分の町から大勢の人が連れて行かれるのを見ていたのに、止めようとしなかった。
そこに罪があります。

原爆にしても同じです。
何十万人という人が一瞬にして命を失った。
今なお後遺症に苦しむ人がいる。
そこで深く反省して、二度と戦争は繰り返さない、原爆の悲惨を繰り返さないと誓ったはずです。
でも、同じ過ちをまた繰り返そうとしています。

1923年9月1日、関東大震災が起こりました。
その時、六千人とも言われる朝鮮人が殺されました。
どうしてそんなことが起こったのか。
朝鮮人が暴動を起こそうとしている、井戸に毒を投げ込もうとしている、不穏な動きがあるから自警団を作って警戒せよと、警察が連絡網で流した。
それが元で、いろんな場所で通りがかりの人を捕えて、殴り殺した。
そんなことが、94年前の日本で起こったのです。

どうしてこんなひどいことが起こるのか。
神などいないのではないか、と思う。
そうではないのです。
同じ町で暮らしているのに、差別し、偏見の目で見ていた。
だから、そんなことが起こった。
本当に親しい関係を築いていたら、止めることができたはずです。
歴史から学ぶ必要があります。



今日の箇所には、主イエスを見捨てて逃げた人たちの姿があります。
接吻して引き渡したユダ。主イエスが捕らえられたのを見て、落胆する弟子たち。
裸になって逃げ出した若者。
この裸の若者は、何を表しているでしょうか。

みんな同じだった、お粗末だった、情けない姿をさらした。
でも、そんなわたしたちのために、主イエスは十字架への道を真っ直ぐに進んで行かれたのです。
(2017年10月1日)




ホームページに戻る



PR

Copyright © 門司大里教会メッセージ : All rights reserved

「門司大里教会メッセージ」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]