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遠くから見守っていた

マルコ福音書15章40~47
「婦人たちも遠くから見守っていた。・・・この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。」(15:40~41)
「世話をする」は、「仕えていた」という言葉です。
イエスに従い、仕えていた弟子たちはどこへ行ってしまったのだ。
この女性たちの他には誰もいないのか。
そんな響きがあります。

一方、この女性たちは、主イエスが息を引き取る場面、さらに葬られた墓をしっかり見届けました。
弟子たちとは対照的です。
空の墓を見つけたのも、女性です。
古代のイスラエルでは、女性は裁判で証人になることは許されませんでした。
それにもかかわらず、女性が証人とされているのです。



「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。」(15:43)

「神の国を待ち望んでいた」は、ユダヤ教の熱心な信徒を意味します。
主イエスの弟子であったとは言えません。
十字架で処刑された罪人は、何日もさらし者にされたあげく、他の死体と一緒に穴に投げ込まれるのが常でした。
アリマタヤのヨセフは、これほど立派なラビがそんな扱いを受けてはならないと考えたのです。

権力者に逆らったらどんな目にあうか分からないなかで、神の前に正しく歩もうとした。
弟子たちは逃げてしまったのに、弟子でもない者が人として正しい行いをしたのです。
アリマタヤのヨセフが葬ったことによって、主イエスの死と葬りは疑う余地のない事実となったのです。



主イエスは確かに苦しみ、息を引き取り、葬られたのです。
ただの人として苦しみ、神から見捨てられたのではないかという恐怖を味わい、孤独と絶望のうちに息を引き取られた。
それを見届けた人がいる。
百人隊長が、アリマタヤのヨセフが、女性たちが見届けた。
これだけの証人がいる。

神の子が一人の人として忠実に神に従って歩み、苦しみを受け、息を引き取り、葬られた。
しかし、神の手によって死者の中から引き起こされた。
そこに、神の御心があることを知れと、マルコ福音書は語るのです。
(2017年11月26日)



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